« 相模大野 危うくカルチョ談義!? | ブログトップへ | 赤坂京膳 北條 »

自叙 4

文字通り朝から晩まで合唱に明け暮れた高校生活も終わり、東京へ旅立つ時を迎えました。とは言っても気楽なもので、「4年間で自分の人生の進む道の入り口を見つけて来れば良い」と言う父親の言葉を胸に、これから待ち受ける大いなる壁の存在など微塵も気にせず新宿行きの列車に乗りました。

大学へ入学後はもちろん混声合唱団に入り、新入生歓迎演奏会に一緒に歌わせてもらったばかりか、先輩が歌う予定だった「アムール川」のソロまで頂いて今考えれば何ともずうずうしい事でした。また一つの合唱団だけでは満足できず市民合唱団にも在籍しました。これが「武蔵野合唱団」男は野武士集団、女は厳しくも限りなく優しくといった、故郷を離れ一人暮らしの自分にとってまさに家族の代わりとなった場所でした。現在後援会会長の木下君、その奥様の美由紀さん、合唱部の大先輩であり僕らの精神的支柱であった美樹さんと駒ヶ根出身の4人が同時に入団したので、ある意味寂しさみたいなものは皆無でしたがね。ここで僕は人生の最大の転換期を迎えます。指揮者の小林研一郎先生に出会ったこと。ある練習の時、たまたまソロで歌っていた僕を聞いて先生は指揮を止められて、「今君は何の勉強をされているの?」「経営学部一年です」「じゃあね、それいますぐやめなさい。そして音楽を勉強しなさい」言葉は丁寧でしたが内容は天と地がひっくり返るような事でした。日本はおろか世界で大絶賛される稀代のマエストロのお言葉です。冗談で仰っているようにも思えません。その瞬間から「声楽家」という、新しい人生の選択肢が一本僕の心に芽生えました。大学2年の冬、クラブの音楽指導者であられた岡本俊久先生から一人のオペラ歌手をご紹介いただきました。これが僕の第2の出会い、市原多朗さんです。第九とヴェルディのオペラ「仮面舞踏会」のため帰国されていた折、空いている時間を使って僕の声を聴いて頂くよう岡本先生が算段してくださったのです。奥様と一緒に現れた多朗さんは気さくに、「何練習しているの、歌ってみてよ」と、僕は恐れ多くも、当時唯一練習していた大曲を歌いそれを聴くなり「素質はあるね。このまま勉強を続けて、僕は君の先生ではないから行使なさいと無責任な事は言えないけど」と仰りながら僕の使っていたアリア集のページをぱらぱらとめくられて、「こんなことしか君にしてやれないけど」と前置きされておもむろにご夫人の伴奏でトスカの「妙なる調和」を歌ってくださいました。ああその感動!世界のオペラハウスをまさに驚愕させたあの声が今は僕のためだけに響いている。もしこんな感動を僕も人に与える事ができればな。自分の好きな「音楽」で。この瞬間に僕の人生の歩む道ははっきりと見えました。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)