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巨匠が残してくれたもの① アリーゴ・ポーラ Arrigo Pola

思えばずいぶんたくさんのヴィルトゥオーゾ<巨匠>たちと人生の節目節目に出会ってきた。やはりこの世に名前を残すような人は強烈な個性を放っていた。そして彼らとの出会いは僕の音楽を超えた人生に大きな影響を与えてきたと思う。忘れないうちに、少し書いておきたくなった。

もちろん僕のイタリア生活において、この人の事はど真ん中に語られなければならないと思う。ルチアーノ・パヴァロッティを育て、たくさんの優秀なお弟子さんを日本も含めた世界中に残した名伯楽、アリーゴ・ポーラである。

彼の現役時代、ルチアーノを育てた時代、日本時代はいろいろな場面で紹介されているのだそちらに譲るとして、ぼくがイタリア留学を開始した1992年当時から振り返って見よう。

夏の暑い日、友人と共に先生のスタジオを訪れた瞬間から僕の人生は始まった。レッスンのたびに声が変化し、音楽が変化し、自由にコントロールできる喜びを実感した。もちろんここからある意味長い長いトンネル<音楽家としての人生の>に入り込むのだが、その序章としてはあまりにも劇的で、あまりにも魅力に満ちていた。印象的だったのは、他の人のレッスンを聞いていると、全く自分とはやり方が違うのである。それぞれの人の声や特徴に合わせて教え方を変えていた事。これはその後の僕の声楽の考え方、又レパートリーの考え方に大きな衝撃を与えた。話し声が人によって違うように、歌声も違うというこんな当たり前のことを改めて教えてもらった。

コンクールやイタリアのリサイタルで歌っているとその評として「君の言葉は良く聞こえる」と言われる事が多かった。実はこれが「ポーラ式」なのであった。彼は良く「もし噴水の水の出口が直径30cmあったら水はなかなか上のほうまで届かないだろう?あまり口を開けすぎないで息を調節して、口の少し前で息を結ぶようにして、そこできちんと発音するようにして、歌うんだ。そうすればホールの端っこまでピアニッシモが聞こえるぞ」と、耳にたこができるほど言い続けられた。

オペラアリアを中心にレッスンしてもらいましたが、カンツォーネも好きだった。リラックスさせる目的もあったのか、よくそういう柔らかい曲も歌わされました。歌を如何にうまく聞かせるかということはこの場面でよく学べたと思います。

発声の時も、僕の歌っているフレーズの3度上の音を重ねてよくハモッてくれました。ともかく近いところに住んで、毎日のように通う日もあったので、先生も色々考えてくださって飽きないようにしてくれていたのだと思います。

ぎしぎしと音のするいすに腰掛けて、左のひじを開けたピアノの蓋の上に休ませて、首を左に傾けながら右側に居る僕に注意を払い、うまくいかないときにはその場は黙って聞き流し全部歌い終わった後で噛んで含めるようにその理由を、僕が気づくように語ってくれて、うまくいったときには十字を切って神様に向かってぶつぶつおっしゃっていた姿が未だに瞼の裏に張り付いています。

レッスンはけして易しくはなかったけれど、今強く残るイメージとして、このスタジオと言う空間が僕の歌で皆が幸せになる事を強く願い、その状態が一番良い演奏なんだと言っていたのかな、と今気づきました。

先生が5月に倒れて病院に担ぎ込まれ、心臓が止まり脳に血が行かなくなる時間が限界点を超えた時でも、家族は誰もあきらめなかった。その後奇跡的に心臓が動き出し一命を取りとめたが意識が戻らず植物人間状態になってしまった時も、先生のお嬢さんが以前人の話で「私の知り合いのおじいさんは、大好きな3大テノールを聞かせたらよみがえった。」と聞いていたのを思い出し、慌ててルチアーノのテープを耳元でずっと流していたら、なんと3日後に目が覚めた。退院してきたと言うので恐る恐る妻と一緒に先生のベットの脇に行くと「オオ、サノ。ボエームはどうだった?うまくいったのか?」となんでもなかったかのように質問された。むしろ記憶はしっかりしすぎていたようにも思う。でも11月に入り、いよいよもう難しいという時、枕元で先生の手を握ると、軽く握り返して僕を見つめる目の光がぐっと強くなったような気がした。僕はいつまでも精進する事を誓いながら握り返し、その2日後、先生は静かにその生涯の幕を閉じた。お葬式の朝はとても寒く、ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラがほっぺを真っ赤にして家の前に立ち、人よりも一回り大きなお棺にこれもまた一回りもふた回りも大きく長いリボンが、LUCIANOとだけ書かれ、細かい事は一切書かずともどこのルチアーノか一目でわかる悲しい装飾が施された僕の心は悲しさよりぽっかり空虚感に満ち溢れていた。

いくら書いても書き足りないが、先生はプレイヤーとしても、そして教え手としても最高の、プロ中のプロであった。

今年の11月4日先生の命日は日本だ。大阪か名古屋か。天国の先生と久しぶりに話して見よう。そういえば、とてもうなぎが好きだったなあ。ひつまぶしを一緒に食べよう。

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