意識改革を感じながら帰国した僕は、毎日の基本を発声に据えた。自由に声が出れば、自由にコントロールできれば何かクリアーできる。それを合言葉に来る日も来る日も発声に熱中した。そう、それは上手くなりたくて放課後の時間オルガンに向かって自己流で繰り返した、あの思い出深い高校時代の行動と同じ根をなすものであった。
よくプロ野球のピッチャーがフォームを崩した時に、シートノックを受けるという方法があるらしい。それは、受けて・投げる、と言うからだの基本を感じ直すためらしい。まさにこのことを凝り返してやっていたためか、声が非常に素直に出るようになってきた。特に中間音、リリコテノールの命と言われるチェンジの近くあたり(F♯)の歌い方がわかって来始めていた。このチェンジの出し方は、僕が一番初めについた先生、東京音大の鹿野道男先生直伝の息の流れと「薄さ」のバランスに秘密がある。(わかりにくいことは承知で書いていますが、こういう感じでしか表現できないのです)ここが決まると、この上の音とこの下の音、という分け方でそれぞれが伸びてゆく。自動車のギアチェンジの位置。後に市原太朗さんに人生唯一の貴重なレッスンを受けた時、「テノールは、これがなければだめなんです」というところの「これ」はここである。随分歌が楽になった。喉が疲れずに、喉のお医者さんに通わなくても良いようになったのだ。それまでは実によく中村橋・萩野先生のところにまさに日参していた覚えがある。大学時代は2人の忘れられない先生、原田茂生先生と故東敦子先生に音楽と人生を教わった。原田先生は言わずと知れたドイツ歌曲界の、日本音楽界の重鎮であられる。初めはきっと怖い先生なんだろうなと恐れが先行していたが、初めてのオリエンテーションで先生の優しい目と独特の語り口を拝聴して不安は吹き飛んだ。そして一回目のレッスンに伺い、先生から「さて、何を聴かせてくれるかの」と尋ねられ、ドイツ系の神様の前であるにもかかわらず、それではヴェルディの「ルイーザミラー」をと恐れも知らず歌い始めると、ずっと目をつぶって聞いてくださった先生が開口一番驚くべき事を仰った。「あんたはな、ドイツ物は一切やランでええ、次からずっとイタリアオペラアリアを持っていらっしゃい」と。これはいったい何を意味するのだろうと、当時戸惑いとある種の優越感と劣等感が同時に胸に去来した。しかし今は、先生の見通しの鋭さに心から敬服する。なぜなら、大学の4年間を、苦手なドイツ語を一から勉強すると言う労力を、イタリアもの研鑽の一点集中させてくださったから。本当に「凄い」先生である。それでも1度、たまたま先生の気が変わられて「あんた、何かドイツ語の歌は知らんのか?」と言う問いに、その頃丁度コンサートで歌う予定にしていたシュトラウスの「献呈」を朗々と歌わせて頂くと。「・・・あんたはやっぱりイタリア語がええ」と納得されてしまった。自信が有っただけに、惨敗の気分だった。もう一人の僕の先生、故東敦子先生は世界の桧舞台を踏んだソプラノ歌手であり、まさに舞台の意味を知っていた方であった。実は芸大入学前も東京音大でレッスンに伺っていた。ともかく先生の前では気が抜けない。そんなつもりはないのだけど、先生の前に立つと何か自分の力の無さをつくづく感じた。実はこの気持ちは音楽において感じているだけではなく、人間の生き様について心が勝手に先生のそれを感じ萎縮してしまうのである。音楽を追求する気持ち、舞台に立つことの厳しさ、自分を律する事の大切さ、そして人間としての格の高さを持ち続けることの重要さをまとめてレッスンの中にぶつけてくださるので、これはまさに「人間形成のレッスン」であったのだ。先生はいつも「音楽は、品です。下品はだめ。」と一言で本質を言い切っていらっしゃいました。今になって、その意味がよくわかる。しかし実はレッスンを離れた時、こういう言い方は失礼だが、本当に少女のような先生であられた。よくお茶をご一緒させて頂いたり、お話をさせて頂いたが、そのたび先生の力の抜き具合、と言うかレッスンの時からのギャップを感じた。ある意味世界を舞台に歌ってきた先生の深い音楽の秘密を見たような気がする。このお二方に、僕は芸大で同時に教えて頂くことが出来たのは人生最大の幸運であった。もう一つ印象的なエピソードがある。実は東先生は大学院の先生で、学部生の僕は普通で考えると教えて頂く事は不可能。しかし東先生は特別に、かつ快く許してくださった。しかし原田先生は学部長。こんな事許されるはずは無い。勇気を振り絞って、だめもとで「東先生のところにも(両方通いたいと言うこの欲深さ・・・)レッスンに行きたい」と先生にお伝えした。そこで信じられないようなお言葉を僕は聞くことになった。それは、「ああ、ええよ。行ってらっしゃい。でもな、一つお願いしたいことがあるんじゃが・・・東先生から何を教わったか、わしにもときどき教えてくれんか?」<日本の原田先生>がこの謙虚な御姿勢!逆に本物の凄味を痛感した。こんな素晴らしい2人の先生に鍛えられ、芸大の4年間は、まさに外洋に飛び立つ前の渡り鳥のように十分な養分を蓄えて、あっという間に過ぎていったのだ。
