最近に限った事ではないのが由々しきことではあるが、小さな子供をナイフで殺傷したり、有ろう事か親が子供を、という信じられない事件がニュースの中心を飾る事が多くなった。勿論その当時当時で聞くに堪えないような事件は起こっているのだけど、最近はその度を越している。こんな世の中を僕たちレベルで変えていく事はできないのだろうか?
よく自然の生物の世界では、一定範囲内にある生物の個体が必要以上に増えてしまったときは「間引き」する方向に向かってゆくらしい。例えば親が子供を食べてしまったり、群れから追放したり、云々。だからひょっとして今こんな事件が多発するのは、この地球に人間という個体が満ち溢れてしまったせいなのかもしれない。確かに人間が密集する地帯での事件が多い気がする。だったらみんな過疎地に移住して人口密度を薄めれば解決するのか、というものではないと思う。僕は今回「子供の食育」を考えながら行き着いた結論として、今の日本が少し崩れてきてしまっているのは(世界においても)「家族」の大切さを少し後ろにおいてしまった事にそのきっかけがあると感じた。「個人」が「社会」に着地する為の準備をする最小単位である「家族」「家庭」の役割を考える事について、あまりにもおざなりになっている。現代社会の考え方の基軸は「自由である事、またその保障」であると思うが、個人で生きる自由を追求しすぎて、社会で生きる為に必要な「不自由」を考える事を放棄している。その不自由を一番初めに教えてくれるのが「家庭」なのである。子供が学校であった事を話すとみな喜んで聞いてくれるから話してみる。それに対して耳の痛い考えも親から発せられるかもしれない。当然反抗、でも従おうとその場は思わなくても、そういう考え方も有るんだ、と頭の選択肢の中にうっすらとでも残る。次の日学校に戻って新しい選択肢を準備した頭で照らし合わせて物事を見てみると、昨日までと違う何かがピカピカとランプのように光って目前に現れる。その≪経験≫の繰り返しがいわゆる正しい≪大人≫を作ってゆくのだと思う。ただこう考えた時の現代社会の問題は、①家で怒られたら逃げる場所(プチ家出、もしくは本格的な)が普通に存在している事。お金も稼げてしまう。昔は家を出たら生きていけないという危機感が家出するのを踏みとどまらせていた。親父に怒られたらおふくろかおじいちゃんおばあちゃんが慰めてくれた。それに対し今は自分の心の中で「自由に」納得・解決する事を求められる②そして道を指し示すべき親がどこかピントが外れている。正しい道はどっちなのか、親もわからない。しつけは学校でなく家でするものなのですよ。でも仕方ないだろうか、とりあえず自分の家の子は守らなきゃ、人の良い事を言っていたら抜かされる取り残される自分だけ損をする。モンスターペアレンツの登場は当然至極の事です。でもそれで良いのかなあ?ちょっと根の深そうな議論である。でも意外と身近なところに解決の糸口は見えているんですよ。基本は「家庭」なのです。今まで≪個人≫という個体だったものが「≪家族・家庭≫に代って行けば個体数は減って共食いしたりする事は無くなるのではないかなあ。。テーマがでかいので続きはまた今度。
