コルドバは異国情緒の町
朝早めのAVE(超特急)に乗ってコルドバへ。イタリアの列車に比べて揺れも少なく乗りやすい印象。疲れも少なくコルドバの地を踏めた。まずは夢にまで見たメスキータへ。イスラム教の信仰の深さを感じる、スペイン屈指の世界遺産である。900余に及ぶこの円形アーチは美しさというより畏敬の念を感じざるを得なかった。異国人街の細い小道を迷いながら抜け出してホテルへと向かった。明日はセビリア、カルメンの町である。
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朝早めのAVE(超特急)に乗ってコルドバへ。イタリアの列車に比べて揺れも少なく乗りやすい印象。疲れも少なくコルドバの地を踏めた。まずは夢にまで見たメスキータへ。イスラム教の信仰の深さを感じる、スペイン屈指の世界遺産である。900余に及ぶこの円形アーチは美しさというより畏敬の念を感じざるを得なかった。異国人街の細い小道を迷いながら抜け出してホテルへと向かった。明日はセビリア、カルメンの町である。
この町は来なくてはいけない町だった。昨年8月、45℃を記録する真夏のある日、タバコ工場の前に立って、1年後の「カルメン」の成功を神頼みしてきたのであった。その時は途方も無い事と思っていたけど皆様の助けも有って大成功を収め、その御礼をどうしても言いたかった。正門前に立つと、今はセビリア大学の校舎と化した古の物語のスタートの地が、何か優しく僕を包み込んでくれたかのようだった。おまけにカルメンの神様が(誰だろう、一体?)「さあ、美味しいものやお酒を存分に楽しんでいってくれ」と言っている様な気がして、昨日にも増しておいしい「tapas」をはしごした。幻聴ではない。確かに聞こえたのである。アンダルシア地方の「TAPAS」が最高である事は、既に1年前から仕入れてあった情報である。カウンターに腰掛け、目の前に並ぶお惣菜を指差し、小皿に少量入れてもらう。こうするとたくさんの種類が味わえる。一日の疲れどころか1年分くらい癒せそうな幸せな瞬間であった。明日は、もっとTapasを知り尽くした町、グラナダである。
明日はしらかわホールなので今日名古屋移動。このブログ写真欲しいよね。入れ方を聞いたのだけど実行していないから、近日中にやります。行った所の美味しいものをレポート、など古臭いやり方だけど、感動できるものはいっぱいあります。名古屋は、イタリアン、ひつまぶし、美味しい店いっぱいあるよね。でもどうしてその話に行き着いてしまうのだろう・・・反省。
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長かったようで実はあっという間のヨーロッパ探訪。最後はグラナダです。セビリアから友人夫妻の車に乗っけて頂いたので楽チンで到着。この町の美味しいところは任せて、という感じでした。なんせ前回バスツアーで訪れた時に、市内観光中に美味しい店をばっちり見つけ、途中勝手に自由行動にさせてもらい味見まで済ませています。今回その店のほかにもう3件ほど、超お奨めのTAPASを発見しました。どうしてアンダルシア地方はこんなに美味しいものがあるのだろう。疑問に思うより先にまず箸が進む毎日でした。
こうして各地2泊ずつの大旅行が終わりました。オフィシャルあり、プライヴェートありの珍道中と言えましたが、最後に思ったことはやはりこれ「世界はこの目で見て初めて世界となる」ということでした。カルメン終了後、未踏の地アラスカとスペイン各地を回りましたが、心の中にたまった思い出は一生の財産みたいなものになるんだろうなあとおぼろげながら、しかし確信しています。
さあ、普通の生活に戻らなくては!
中学の時の恩師・小林雅彦先生に依頼を受けて、3年連続で松本市の中学校でレクチャーコンサートをさせて頂いている。子供達のきらきらと輝く瞳と先生方のコンサートを成功させようという熱意があいまって本当に心地良い時間を過ごさせて頂いた。それが3年間全くぶれないというのが凄いな、と思う。じつは松本市は僕の心の故郷のようなものだ。幾つかのインタビューやコンサートなどで明かしているが、僕は心臓の手術を体験している。その病院がここ松本にあったのだ。まさに多感な少年時代、病気という目に見えない(自覚症状と呼ばれるものは全く無かった)不安を心の片隅に置きながら、縄手通りや伊勢町通りをなぜかほんの少し開放感を持って歩いたものだった。昨日も同じ道のりを歩いてみたくて昔の町並みを探してみたが、実に30年前の出来事である。縄手通りはむかしのままであるが、伊勢町通りはまったく別のものであった。散々歩いてみたがピンと来ない。帰らなくてはと思った時、パルコの近く、蔵の壁が目立つ小路の前を通りかかったとき僕の中の記憶がはじけた。道は新しいが、道幅があの時と一緒なのである。そういえばこの骨董品やさんやお皿やさんがあったな、と感じた瞬間記憶が繋がり、あの頃の思いが溢れ出てきた。いわゆる闘病中、僕の思い出は苦しさではなかった。家族や親戚、友人や慮ってくれる知り合い達に愛されて、幸せな日々だったのだ。あの頃はよく分からなかったけれど今思うと心がものすごく温かくなる。松本は、帰るべき町だったのだ。