今日も会うのか KY君
気が付けば2日連続で僕と飯を食うKY君。彼は非常なグルメで、というか食い物には五月蠅い。こだわりがすごいのである。彼のやっている合唱団の仕事がさぞかし大変なのだろう。貪欲なまでに次から次へと食べ物ツアーを提案してくる。気分転換だストレス解消だといいながら、ちょっとそれとは違う何かを感じてしまう。もっともこちらも嫌いなほうではないので喜んで受け入れてしまう毎日である。
気が付けば2日連続で僕と飯を食うKY君。彼は非常なグルメで、というか食い物には五月蠅い。こだわりがすごいのである。彼のやっている合唱団の仕事がさぞかし大変なのだろう。貪欲なまでに次から次へと食べ物ツアーを提案してくる。気分転換だストレス解消だといいながら、ちょっとそれとは違う何かを感じてしまう。もっともこちらも嫌いなほうではないので喜んで受け入れてしまう毎日である。
昨日用事があって横浜に行った。電車を降りると向こう側のホームから「佐野ちゃ」と声を掛けてくる」この広い東京で僕をそのように呼ぶのはたいてい長野の友人だ。声の方向を見ると、居た!高校の同級生、MK君だ。後援会の会長KKくん(いまさら伏字にしても仕方ないね、木下君)らと共に、高校の声楽クラブを仕切ってきた男である。学生指揮者として随分目に見えない努力をしてきた男である。そういえば最近余りゆっくり会ってなかったなあ。奥様をほったらかしてわざわざ通路に飛び出してくれて、近況を話してくれて、再会を誓って(横浜で頑張っている)気持ちよく別れた。友達っていいなあ。何も期待しないで、ただ元気なのを喜んでくれて、舞台で頑張っている事を称えてくれる。何か最近はお嬢ちゃんに僕のCDを聞かせてくれて、いつか生の声を聴きに行く時のための準備をしてくれているらしい。いつかその日が来た時に、「お父さんの友達なんだぁ」と感心してもらえるような、そんな歌い手になっていよう。絶対。
話が弾むと食事も幸せ。おいしいものは話を弾ませる。良い連鎖反応は人を幸せにさせます。今日はNHKイタリア語講座でおなじみのダリオ・ボニッスィご夫妻と新宿の知る人ぞ知るイタリアンである「Vincero‘(ヴィンチェロ)」に行ってきました。店の名前はもちろんプッチーニ・トゥーランドットのあれ。ずっとイタリアオペラ、しかも昨日は僕の尊敬するカルロ・ベルゴンツィのヴェルディアリア集がかかり気分はいきなりトップスピード!ダリオは今オペラアカデミーを主宰していて、午後はその講座にお邪魔して来ましたが、今の日本人の歌を勉強する人に必要な「舞台人になるための心構えの勉強」をきちっと体現されていました。それからの流れだったから話題はオペラ一色。オペラに対する夢や現状や、色々な事を時間を忘れて話していたら、いつの間にか4時間があっという間に過ぎていました。料理のお味は、もちろん美味しい!食材の特徴をきちんと把握し、期待している味にプラスワンが必ず加わるサプライズ。ワインのバリエーションも極めて多く、美味しい時間をトータルで演出する意気込みにあふれた、勢いを感じるお店でした。彼らと別れた後麻布十番で久しぶりにフランスから帰国しているチャーミングで周りを明るくさせるメゾソプラノの鳥木弥生ちゃんと、ずっとイタリアでスローフード協会の仕事に携わり、現在日本で幅広く(翻訳したり・いろいろな人を結びつけたり、あ、最近は「イタリア式朝食でイタリア語を学ぼう」という意欲的な講座も開設しました。www.p-campi.com参照)活動する石田さんと、金沢の椿姫で共演したというだけで我々に振り回されている、将来有望なバリトン・原田君と再会しました。終電までの小一時間、例の「てげてげ」、食べ物を口に入れながらも話のスピードは相変わらず落ちないという、我々が長い時間をかけて体得した特殊技術を駆使して、楽しき時間を過ごしました。ああ、こんな時間っていいなあ!
長年の友人の追悼コンサートに顔を出してきた。彼が団長を務め、心から愛してきた合唱団は見事に白い翼を背にして羽ばたいていた。この合唱団は自主性と実行力に秀で、関わるものを麻薬のような魅力で虜にする。そこに僕の友人、MAGは一つのスピリットを残していった。ひたむきな心、信じる事に向かって迷わず進み続ける事が全てである事。惜しいやつを亡くした。
次の公演は木更津でニューフィル千葉との公演、飯森さんと久しぶりの共演なので気分的に盛り上がっている。ふと自分の人生を振り返った時、もう45歳を迎えていることを改めて思う。果たして僕はこの45年間、歌い手を志してから少なくても15年の間何をやってきたのか?人に勇気を与える歌、生きる喜びを感じてもらう機会、涙を流すカタルシス。さて僕は社会にどんな役に立っているのであろうか。そう思うこと自体おこがましいのであろうか。目の前に自分で課題を考え、それをひとつずつクリアーしてゆく、その繰り返しはルーティンワークになってはいまいか?この世に生きている人間と生かされている人間がいるのだとしたら僕はどちらなんだろう。出口の見つけにくい命題を思いながらもともかく毎日を悔いの無い様に生きてみることが肝心と気がつく。信長の時代なら後5年、僕はいったいなにが残せるのだろうか?